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by abukuma

私の信仰の歩み

私の信仰の歩み
賛美歌 賛美歌: 273番b わがたましいを愛するイエスよ
     380番 立てよいざたて
聖書 ヨシュア記 1章6-7節

信仰の生みの親 佐藤一歳
医者の子、生涯を農村伝道に捧げる
名付けの親、純粋な一途な信仰、幼子の純粋さ
子供の私は畏れと尊敬をもって佐藤一哉先生を仰いでいました。日曜集会は神聖でげんしゅくでした。その話は理解できなくても、一哉先生の一途で真剣な、また純粋で躍動している姿は私の心に深い印象を与えました。

聖句暗唱と信仰の成長
私にも課せられた集会毎の聖句暗唱はよい訓練でした。私は好んで山上の垂訓を暗唱しました。それは私の心にイエスの言葉を植え付け、私の人生の指針として何度も私を正しい道に導きました。子どもに対する信仰教育の大切さ、何より親の生活態度を通して信仰を伝える大切を学ぶ、イエスの預言は子どもにも理解できる、単純性、明快性がある
幼子の心を持ちづつ蹴ることのたいせつさ、
だれでも幼子のようにならなければ天国に入ることはできない。

佐藤一哉先生は幼子の心と喜びを失わなかった人でした。その純粋な信仰と全身をもって表現する真理の喜びと悲しみは、先生に接する人がまず第一に受ける印象でした。先生は雇い人でなく、独立伝道者であり、生計は医者の労働で支えました。先生はいかなる組織や団体によらず、一人神と共に歩んで信仰と真理を伝えました。しかし先生に最後まで人格的誠実をつくした人はほんのわずかしかいませんでした。その集会は一人か二人を相手に真理を説くのが常でした。その伝道の生涯は悲しみの生涯でありました。でも、その純粋な信仰と真理に対する忠実のゆえに私の信仰は育てられたのです。信仰に立ち返った青年時代に、私は先生の奥さんの昇天追悼会に出ました。そこで一哉先生の天国への思いを聞きながら、この人こそ誠に私の信仰の生みの親であった、と感を深くしたことを覚えています。以来わたしは「あぶくま」をもって自分の信仰名とし、三年前のアメリカ留学中「あぶくま無教会」を名乗ってホームページを開設し、そして今、あぶくまの地で一哉先生の後を継いで「あぶくま無教会」の信仰と真理のともしびを守るべく立っています。

一方、矢内原忠雄先生はその著書によって私を教え導き、いましめ訓練を与えた、信仰の育ての親です。私は肉において矢内原先生に会っていません。私が生まれた1961年、矢内原先生は天に行かれました。肉において先生を知らないことは私によいことでした。私はより純粋に先生の信仰を学び、より明らかに先生の真理の戦いを理解できたからです。矢内原先生も独立伝道者として組織団体によらず、個人の責任において福音をのべ伝え、生計は大学教授によってまかなっていました。また先生の弟子に対する愛と規律には特別のものがありました。神を畏れ、自らの信仰と姿勢を正し、その責任を自覚させるため、先生は従ってくる者に対する人格的訓練をおしみませんでした。

矢内原先生は神と共に一人立つ者の悲哀を身にしみて感じていました。「真理の悲哀性」は先生の発見した真理でした。また信仰とは神との人格的真実関係であることを明らかにしたのも矢内原先生でした。矢内原先生は言います、

信仰が生きていなければならないということは、父なる神と救い主キリストとに対する人格的真実をもたなければならないということです。真実は人間相互の交際の根底ですが、人に対して真実な心をもたない人が、神とキリストとに対して真実な心を持つはずがありません。また、神とキリストとに対して真実な心、すなわち真実な信仰態度をもつ人は、人に対しても真実な心を持たされます。それは人格的結合の要素は「真実」であり、神とキリストとに対する関係も、また人間相互に対する関係も、人格的関係と言う点においては同一だからです。

日々のかて 12月26日

ですから無教会は信仰の師弟関係を重んじます。信仰は人格的誠実関係であり、信仰の命は人格的伝承だからです。もちろん師を偶像化してはいけません。絶対者は神のみ、人は罪にまみれた者です。人が信ずべきものは神のみ、依り頼むべきものはキリストのみです。しかしながら、目の前の人に誠実と愛をつくさない者が見えない神に誠実と愛をつくすことはできません。神が私たちに人間の羊飼いをつかわされるのは、それによって私たちが神の真実と愛を学び、知るためです。

私は矢内原先生の信仰を受け継ぎ、伝えることが私の使命であると確信しました。その最初に示された課題は矢内原先生版の「一日一生」を作ることでした。始め私はこれを私自身のために作りました。何度も繰り返して、私のたましいのかてにする先生の短言を集めている内にこの着想を得たのです。私がインターネットに最初に公開したのが矢内原先生の真理のエッセンスをあつめた「日々のかて」でした。私は「矢内原忠雄の子」である事を誇りにしています


信仰の育ての親 村上周平
「子に対する最善の信仰教育は親自身の真実な祈りである、と矢内原忠雄は言っておりますが」(日々のかて、12月5日)

私の過失で飼っていたヤギを死なせた時のことでした。その時、父は叱らず、黙って埋葬を手伝い、祈ってくれました。その時初めて私は神に赦しを求める祈りの心を与えられました。このように信仰を幼いときから育ててくれた親に私は心から感謝しています。

高校における罪の自覚 悪の芽を摘み取る、
高橋三郎先生が希望の星、信仰の模範、尊敬する人格

大学における自分に死に神に生きる
「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ 2:20)

信仰の喪失
信仰者の真実な生き方、神への信仰態度、立ち返り、

回心
信仰の女性に対する恋と神を愛することの意味
「心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くし、力の限りを尽くして、主なるあなたの神を愛しなさい」(マルコ 12:30)」

矢内原忠雄のイエス伝との出会い
これまでの混ぜものの信仰から「純粋な信仰」
真理愛の覚醒、「畑の中に真珠を見つけた商人のように」
無教会信仰の再発見
罪のゆうわく

高校は父の勧めで愛農学園に行きました。寮生活の悪習に染まったこともあって私の罪が明るみに出て来たときでした。私は小さいときから守銭奴といわれたほど、お金の奴隷になっていました。そのためキセル(不正乗車)を人知られずやるようになっていました。表面上は優等生で通っていましたが、その裏では罪を繰り返しておりました。やがてその罪を告白するときが来ました。それは高校3年の雪の降るときでした。クラスの中でたばこを吸い、酒を飲んでいる人たちが、先生の呼びかけに応じてその罪を告白しました。私はたばこや酒はやっていませんでしたが、購買部のお菓子を盗んだことや電車のキセルの罪をその時告白しました。駅に先生と一緒に行き、キセルのことを話し、その回数と金額をありのまま話して、償いをするつもりでしたが、駅長は謝りに来たことをほめて、お金は受け取りませんでした。以降は悔い改めて、祈り、聖書を学び、再び罪を犯さないよう固く決心しました。尊敬していた高橋三郎先生の著作に親しんだのもこのころです。

しかしながら罪のくせがつくと一回や二回の決心ぐらいで罪の誘惑に勝てるものではありません。大学に入って間もないころ、乗車券販売機の前でまたキセルの誘惑にかかりました。「ああ、どうしたらキセルの誘惑を断ち切ることが出来るのだろうか」、と嘆いておりましたら、ある声が心に響きました。「あなたがいま持っているお金はあなたのものではないことを知らないのですか。あなたはもはや死んだのではありませんか。生きているのはあなたでなくてキリストではありませんか」(ガラテヤ 2:20)。そしたら私は解ったのです、「そうだこのお金は私のものではなく、神さまのものだ。自分はもはや死んだのだ。今は神さまのために生きているのだ。神さまは必要なときに必要なだけのお金をあたえてくださるのだ」。そう心に叫んだら、罪の誘惑は去っていきました。そしてそれ以降は誘惑のあるたびに、このお金は自分のものではないのだ、と言い聞かせて、サタンを追い払い、キセルの誘惑を克服できるようになりました。

道を失って

以上のような背景もあって、大学では聖書研究会に入り、近くの教会をいろいろ訪ねました。しかしながら、聖書研究会では私の望んでいたような研究は出来ず、充実感は得られませんでした。無教会に育ったせいもあってか、教会の話に感銘は受けず、教会の雰囲気にも親しむことはありませんでした。そうこうしているうちにもう一つ別のクラブに入り、そちらの方に一生けん命になって、聖書も読まず、祈りもしなくなってしまいました。

一方で女性に恋をしました。最初の恋はすぐ冷めましたが、恋は人を一生けん命にさせると同時に盲目にしてしまうことをつくづく経験しました。二度目の恋は性愛の強いものでした。その時サタンは「神などいると思うから人生がきゅうくつになるのだ。神など存在しない」と私にいどみました。無神論が支配する大学の中で一人で信仰を保つのは容易なことではありません。「本当に神は存在しないのだろうか」、と問い直しました。今から思うとその時が私の人生の分かれ道でした。あらるゆ弁護論がくずれ去ったときに、なおかつわたしの心に残ったものは、もし神が存在しなければ、親の宗教教育も、佐藤一歳先生の信仰も、高橋三郎先生の教えもすべて空しく、彼らはうそつきになってしまう、との思いでした。私に神がいるかどうかは解らなくとも、一哉先生や高橋先生がうそをついているとは思えない。だから私には神を否定できない、との結論でした。私をかろうじて信仰にとどめたものは自らの生きざまで神を証する真実な人格の存在でした。そんなわけで二度目の恋愛も長続きしませんでした。

愛の目覚め

さてここまでの歩みは次ぎに迎える回心のための準備期間でありました。私の生まれ変わりは大学3年の終わり、22才の早春にやって来ました。その始めはクリスチャンの女性に出会い、恋したことです。彼女を通して私の信仰はよみがえり、私は神の愛に目覚めました。恋は人を一生けん命にしますが、神を愛するとは人を恋する以上に一生けん命でなければならないことを悟りました。「心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くし、力の限りを尽くして、主なるあなたの神を愛しなさい」(マルコ 12:30)とは、神に恋をし、神に一生けん命になることに他ならないと解ったのです。その時私は「主の法(のり)を喜び、昼も夜も主の定めを思いめぐらしました」(詩編 1: 2)。その目覚めによって、すべてのものが新しくなって、それまで価値あるとおもっていたものが無価値になり、おろかに思えたものが真に価値あるものとしてよみがえってきました。

聖書は本の中の本となりました。これ一冊さえあればあとはどんな本もいらない、他の本は読む必要はないと思うようになりました。それまではいかに多くの本を読むかに目標がありましたが、回心以降はいかに本を読まないようにするかに態度が変わりました。しかし不思議なことは真理愛が芽生えて、実際は古典や真理に適う本をむさぼるように読みました。その中で特に愛読したのが「純粋理性批判」に代表されるカントの本です。一度や二度で理解できる本ではありませんが、そのコペルニクス的(革命的)概念が、その真理に対する止むことのない探求が、私を感動させ引きつけて止みませんでした。

それから、私のその後の歩みを決める二人の本に出会いました。一冊はマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」、もう一冊は矢内原忠雄の「イエス伝」です。二人との出会いの正確な時は覚えていないのですが、大学4年の6月にはすでに矢内原に出会っており、ウェーバーはその前と記憶しています。ウェーバーとの出会いについては他の所で述べたことがあるので、ここでは省略しますが、彼によって無教会の世界史的意義を明らかにされ、彼の社会学を私の一生の課題にしようと決心しました。

矢内原忠雄との出会い

他方、矢内原の方は高橋三郎先生の恩師でもあり以前から名前と経歴は良く知っていたのですが、その信仰の内容は知りませんでした。「イエス伝」を読んでその簡潔明解で生き生きとした語りに驚きました。イエスの教えとその生涯に対する、矢内原の純粋で深い解き明かしに触れて、「この人こそ私の信仰の先生だ」と感じました。以降、矢内原先生の信仰著作に親しんで特に学んだことは「純粋な信仰」と「真理愛」です。以前に私が接した信仰はどれも混ぜものでした。矢内原先生は私の信仰から不純物を徐々に取り除いてくれました。純粋な信仰とは何でしょうか、それはこの世の思いを混ぜない信仰です、信仰のみをもって満ち足り、そこに利益を求めず、自らの利害を入れない信仰です。つまり純粋な信仰とは信仰それ自身を目的とし、信仰を手段として利用しない信仰です。そして純粋な信仰は愛のために自らの命を捧げます。

真理愛は楽しい心です。高価な真珠を見出した商人が喜びのあまり全財産をはたいて、それを買う心です(マタイ 13:14-5)。朝に真理を聞けば夕に真理のために命を捧げても本望と思う心です。しかし真理愛は悲しい心でもあります。皆が見えない真理を自分一人だけが見ている時、そこに悲哀を感じざるを得ません。真理はすべての人に受け入れられ、愛されるべきものにもかかわらず、実際のところは、偽りが支配するこの世にあって、真理を知る人はごく少数しかいません。ここに真理の悲しみがあります。真理はげんしゅくでありました。

私の使命

以上が私の回心のあらましです。大学・大学院の3年間のこの出会いと学びを通して私の道は定まりました。矢内原の信仰の真理とウェーバーの学問の真理を受け継ぎ、伝えることが神が私に与えた使命であると確信するようになりました。しかしこの使命を果たすためには、私はなお多くの準備と試練を必要としました、いや、今なお必要としています。第一の試練は三度目の恋も結婚にたどりつくことなく終わりを迎えたことでした。第二の試練は、信仰の違いのゆえに、教会のクリスチャンばかりでなく無教会のクリスチャンとも別れなければならないことでした。結局、私はまた一人に戻ってしまいました。一人は耐え難い道です。しかしそれが神の定めた道なら、私はその道を歩まなければなりません。「神は耐えられないような試練に会わせることはありません」(1コリント 10:13)。私は今もそう自分に言い聞かせています。

挫折 
ダンテの神曲、序章 人生の半ばで道を失い、この世の暗闇さまよう
あぶくま無教会の伝道活動
講話とホームページ、出版の停止、停滞
主宰者との方針のちがいにより休止、福島県愛農聖書研究会も休止
一人の信者や求道もなし。人の魂の看取りをする使命を与えられず。
信仰の教師、導師、ではない。その知識やグループを作ることでない。

結婚の問題
信仰に依らず、目の喜ぶ者と結婚、信仰による正式な結婚式をあげることはできなかった。
この世の女性に捕らわれ、信仰の力を失ったサムソン(旧約聖書の士師記13章~16章)のごとく私の霊的状態はこの世の欲の鎖につながれ、活動停止のごとくになっていました。あるいは、姦淫の妻をめとったホセアのように、

地震と原発の爆発がこのような挫折と霊的とらわれの私の上に降りかかりました。
これは第一に裁きでした。しかしこれは第二に救いの手段でもありました。

裁きは世界に対してであり、日本に対してであり、東北に対してでもあり、そして福島に対してでもありますが、私個人に対する裁きでもありました。私の不信仰、不真実、肉に付ける歩みに対する神の審判でもありました。
しかし、それは単なるあるいは最終的な審判なのではなく、人々を愛し、日本を立ち返らせ、東北が心砕かれ、私自身が信仰の初めの愛に戻るために神の愛のムチであると確信します。

「私の子よ、主の訓練を軽んじてはいけません。主に責められる時、弱り果ててはいけません。主は愛する子を訓練し、受け入れる全ての子をむち打たれるからです。」(ヘブル 12: 5-6)

結論
原発爆発とこれからの私
自分の意志を思いを越えて、今、愛農の地に来ました。
そしてこの聖研に再び参加するようになり、1月からは愛農高校の作物部のお手伝いをすることになりました。
この、私が今置かれた状況を信仰的にどのように理解し、どのように歩めばよいのか、即断はできません。いま、神の示しを静かに祈り待っているところです。
だだし、信仰の原理と方向は明確です。
この度の裁きは救いの手段であり、私個人に対しては、これまでのこの世の闇をさまようことを止めて、霊に歩むことを促しています。
私が、矢内原忠雄から学んだ信仰の道を再び歩み、その真理を伝えること。
特に、「信仰の純粋」と「真理を愛する」生活態度に生き、その道を述べ伝えること。

無教会信仰の継承と伝達
by abukuma | 2012-01-05 08:49